【おすすめ本紹介】『日のあたる白い壁』-江國香織 ~誰もが愉しめる絵画エッセイ~
▼目次
- はじめに
- 作家・江國香織さんとは
- 『日のあたる白い壁』をおすすめしたい方・魅力
- ひつじが唸った印象的なことばたち
- まとめ
1.はじめに
今回ご紹介するのは江國香織さんの『日のあたる白い壁』です。
「出会った絵について書くことは、でも勿論私について書くことでした」ドラクロワ、ゴッホ、マティス、荻須高徳、小倉遊亀、オキーフ…etc.。古今東西の27人の画家の作品をとりあげ、「嫉妬しつつ憧れつつ」自由に想いを巡らした、美しくユニークなエッセイ集。愛らしい小品から名作まで、画家たちの様々な作品を鑑賞しながら、江國香織その人に出会う―二重の楽しみが味わえる、宝物のような一冊。(「BOOK」データベースより)」
2.作家・江國香織さんとは
江國香織
1964年東京生まれ。1987年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞。1989年「409ラドクリフ」でフェミナ賞を受賞。以後、坪田譲治文学賞、紫式部文学賞、路傍の石文学賞、山本周五郎賞の受賞。2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞。島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞、川端康成文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞。
江國さんは数々の文学賞を受賞している小説家、児童文学作家、翻訳家です。
※以下、ひつじの主観が多く含まれております。
ひつじの考えでは、江國さんの右に出る恋愛小説作家はいないと思っています。人の曖昧な感情を繊細に読み取って明文化する感性が際立っているのです。
江國さんは、その場面の登場人物の感情・情景に最もふさわしい日本語を選んでいる、という印象を抱かせるほど丁寧な表現をされます。
感情を一度分解して、無駄を最大限削ぎ、ふさわしい表現を新しく組み立てるかのように、
江國さんの紡ぐ言葉は高い透明度をもっていると思います。
ひらがな、漢字の使い方、改行の場所、1つ1つに必ず意味があり、そこには江國さんが表現したいことのすべてが詰まっています。そのこだわりと江國さんの紡ぐ日本語のうつくしさにいつも感動してしまいます。
ちいさく光るそれらが集まることで最高に静謐で情熱をはらんだ小説になっているのです。
江國さんの本を読むと、「愛とは」「幸福とは」といった曖昧で膨大なものが、
少しずつひも解くように、自分の中で確かな感覚になる、そんな体験をすることができるのです。
3.『日のあたる白い壁』をおすすめしたい方・ポイント
こんな方におすすめ
- 好きな画家、知っている画家が1人でもいる
- 忙しくてじっくり本を読む時間をとれない方
- 江國さんの小説をすでに何度か読んでいる方
ココがおすすめ
江國さんの感性で別ジャンルを楽しめる
『日のあたる白い壁』は世界中の画家の作品を鑑賞しながら、江國さんの想いに触れることのできるエッセイ集です。
1つ1つのお話が細かく分かれているため、ちょっとした時間にカバンから取り出して読んでみたり…といったことも楽しめます。
江國さんと一緒に絵画を鑑賞することで、江國さん自身に近づくことのできる貴重な一冊です。
ココがポイント
小説は少し重たい気分、ハードルが高い…と感じる方にも
江國さんのエッセンスを存分に感じでもらうことができます!
4.ひつじが唸った印象的なことばたち
海辺の部屋 エドワード・ホッパー
ホッパーの絵の前でなぜ立ち止まってしまうかといえば、その絵の喚起する感情がーなつかしさであれ孤独感であれー、まぎれもなく私の内部にあったものだからだ。 …… ここに私がみてしまうもの、感じてしまうものはどうしても、私に属しているとしか思えない。私の性質に、記憶に、そして感情に。
ひつじはまったく絵に詳しくありませんが、エドワードホッパーは私の唯一好きな画家でもあるので最初にもってきてしまいました。
エドワードホッパーは空間と人の表情によって孤独を表すのが上手だと思います。
「ホッパーの絵を鑑賞している自分」と「絵のなかの情景」には大きな隔たりがります。それなのにひとつだけ、自分と絵が共通して持っているものを感じます。
それは、孤独という感覚です。誰もが孤独を持っていることをホッパーは絵で教えてくれます。
「あのときの私の孤独」。そんなふうに、どこか懐かしさを含んだ孤独は、ホッパーの絵は見る者に安心感を与えてくれ
るのです。
ちなみに、「海辺の部屋」は江國さんの著作『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』の表紙になっている作品でもあります。
以下はひつじの好きなホッパーの作品です!
花の習作 ウジェーヌ・ドラクロワ
あなたは美術館を訪れた際、どんな風に巡りますか?
ひつじが幼いころ美術館に行った際、どんな絵が”よい”絵なのかわからずおもしろくなさそうにしていると、
母に、家に飾りたいか飾りたくないか、で鑑賞してみることを提案されました。大人になった今でもそれは大きな基準になっています。
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江國さんは美術館で「今住んでいる家に飾る、という条件でどれでも好きな絵をもらえたらどれがほしい?」と聞かれたことがあるそうです。
好きな絵はあっても欲しい絵は全く見つからなかった江國さんは、好きな絵は実際の所有とは別の形で所有していると結論付けました、
絵に限らず音楽や小説に対してもそうなのだが、ときどき、触られた、と思うことがある。感情に、記憶に、あるいは心の奥の秘密の場所に。…… 実際の所有とは別な形で所有してしまう、というのはどういうことなのかといえば、絵は持って帰らなくても、絵の気分は持って帰る、ということ。
江國さんはこの絵の気分をポケットに入れて持ち歩きたいと思ったと記しています。
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実際所有した場合、家に帰ればいつでもその絵と向き合うことができますが、
琴線に触れたその一瞬、感じたうつくしさや受けた衝撃というのは、そのとき、絵の前に立って顔をあげた時の自分でなければ感じ得ない一瞬の出来事。
そう考えると、美術館で絵を鑑賞するというのは、そのときの自分と最高密度で向き合っていることにもなるのかもしれませんね。
劇場にて メアリー・カサット
「劇場にて」のように、この画家が妻でも母でもない顔の女を描くとき、そこにさすやや不埒な陰が、私はとても好きだ。
桃とコップ ジョージア・オキーフ
オキーフの絵は、江國さんの体液にとてもしっくりくるそうだ。生理的なレヴェルでひたひたと満たされ、静かに解放される気がする、と。
5.まとめ
江國香織さんのエッセイ集『日のあたる白い壁』をご紹介いたしました。
世界中の画家の作品を鑑賞しながら、江國さんのセンスや想いに触れることのできる1冊となっておりますので、ぜひ手に取ってみてください。